ケベック教育の歴史

ケベック静かな革命以後の教育

第二次世界大戦後、旧フランス植民地からの移住者などによる人工増加や、人口の都市集中と工業化による高学歴志向、社会の要求の多様化などにより学校教育に対する要求も変わっていきました。1951年、カトリック会は学校制度の改正について検討する委員会を設置し、1953年の報告書に基づき改正を行いました。

1955年に憲法問題審議会の報告書が提出され、教育の機会均等化・教育の世俗化・教育行政機関の改正、教育税制の再検討、技術教育・成人教育・教員養成などについての勧告が盛り込まれ、1960年に政権をとった自由党はただちに教育改革案を作成し教育の抜本的改革を準備する教育調査委員会(パラン審議会)を制定しました。

パラン審議会は1963年に提出した第一次報告書において、州中央教育行政機関として教育省を設置し、教育大臣の下にカトリックの次官とプロテスタントの時間をおくこと、独自の立場から教育状況を評価し教育大臣に勧告する機関として教育最高評議会を置き、その中に他の諸委員会とともにカトリック委員会とプロテスタント委員会を置くことを勧告しました。これは宗派にわかれて教会の聖職者の権限下にあった教育行政の一本化と世俗化、民主化を意味していました。

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この勧告はただちに法案化され、1964年に議会を通過し、長らく教会下に置かれていた教育行政権は州政府の手に移りました。新設された教育省はただちに勧告の実施に着手し、これまでとは全く違う新しい学校制度が誕生しました。

そしてそれまで教会や修道会が直接運営に当たってきた学校の多くが教育委員会直轄の公立学校として世俗化され、宗教の授業は一般人の教師も担当し、父母の願い出により宗教のかわりに道徳を選択できるようになりました。また私立学校はそのままで、その中で公立学校の前年度の生徒一人当たりの経費の80%の補助金をもらえる学校、60%の補助金をもらえる学校、補助金はもらえないけれど教育活動の認可を受けた学校の三種類に分類されました。

この新しい制度では小学校教育課程が6年、中等学校普通教育課程が5年あり、日本でいう高校2年で中等教育が終わります。それ以降はCEGEPセジェップ(College d enseignement general et professional)呼ばれる大学進学準備教育としての一般教養課程2年と、中堅技術者養成のための技術専門課程3年に分かれ、大学は専門課程のみで、その中で1年課程および2年課程も含まれました。


ケベック州内の大学に進学するには、高校2年で卒業したあとこのCEGEPに2年間通い、その後4年制大学の2年次に入学するという過程をたどります。

glad.jpgケベック州内には私学の中等教育学校もありますが、私学ということで日本と同様に6-3-3もしくは6-6体制をとっている学校もあります。しかし日本でいう高校3年終了まで在学している生徒は、他州および他国の大学に進学する場合であって、あくまでもケベック州内の大学に進学するものは高校2年次で卒業になり、その後CEGEPに進学します。
ですから高校2年終了時の卒業式と、高校3年終了時の卒業式の2回卒業式を行うようになっているのです。

フランス語化政策

歴代の州政府はさまざまな法律を作って、フランス語を守ってきました。まず第一は、1969年にユニオンナショナル党が作ったもので、英語で教育をうけている子供にもフランス語の知識を得させるようにすることと、ケベック州にきた人々の子供はフランス語系の学校で教育を受けさせることを定め、そしてその後1974年に第二策として、フランス語を行政・公共サービスを含め仕事の場での使用言語とすることを定めました。

Louis XIV.jpg1976年にケベック党が政権を取ると、静かな革命による教育改革の推進と見直しを精力的に行うようになり、学校教育を通してのフランス語普及政策を徹底する方針を打ち出しました。この背景にはケベック州の社会的経済的主導権をイギリス系住民ではなくフランス系住民が取るべきだという主張とフランス系住民の出生率が低下するなか、移住者が増加し、ケベック州の人口構成の変化が現れてきたことがあります。

そして1977年にフランス語憲章を制定し、州の公用語はフランス語のみとしました。

英語系学校は例外的存在としてその存在を認められるという立場になり、英語系学校に入学できるものの条件は、父母のどちらかがケベック州において英語で初等教育をうけ、この法律施行日にケベック州に存在している者、この法律施行日に合法的に英語系初等・中等教育機関に在学している者とその弟妹というように限定されました。



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