フランス領時代

ジャック・カルティエは前後3回にわたってカナダを訪れました。(1534年、35年、41年~42年)その足跡は現在のニューファンドランド島からニューブランスヴィック州東海岸、プリンスエドワード島に及んだばかりか、さらに西へセントローレンス河を遡って現在のケベック、さらにはモントリオールまでに達しました。

そして自分の探検した土地にカトリック教とフランス王家を象徴する百合の花をあしらった十字架を建て、フランス国王の名においてヌーベルフランスを誕生させたのです。

このとき一緒に航海してきた112人の乗組員の多くが壊血病にかかり、そのうちの25人が命を落としました。このときカルチェは、もう一度フランスにもどることができるならロカマデュールに巡礼に行くと誓いをたてました。その後さらに40人の乗組員が命を落としましたが、残りの病んだ人々はイロコワ族が伝授した西洋スギの煎じ薬の効力により一週間で回復したといわれています。

カナダへ赴く最初目的は先住民との毛皮の交易でしたが、三度目の航海では植民地化の意図も含んでいました。しかし北の厳しい自然はフランス人の開拓や定住を容易に許さず、1543年以降1600年まで、フランスはカナダに足を踏み入れることはありませんでした。

その後1608年、フランス国王ヘンリー4世に対しカナダの植民地建設を説得したサミュエル・ド・シャンプランによってカナダのフランス文化発祥の地であるケベックの町がつくられていったのです。

シャンプランと部下がケベックにはじめて建てた建物はケベックのアビタシオンと呼ばれ、新フランス植民地とカナダの経済発展に重要な役割を果たしたビーバーはカナダを象徴する公認の動物となりました。

Habitation.jpg
シャンプランが作ったアビタシオンの復元風景
TOPPAGE  TOP