自治領カナダの州としての時代

フランス植民地時代、イギリス植民地時代を経るなかで、1848年には責任政府が実現し、1854年には北アメリカにおけるヨーロッパ的封建制度である荘園制が廃止されました。 経済的には1846年のイギリスにおける穀物法の撤廃により、自由貿易主義への転換がなされ、カナダ植民地はイギリスからの経済的自立を模索するため、1854年にはアメリカ合衆国と互恵通商条約を締結し、1864年9月のシャルロットタウン会議、同10月のケベック会議で決議を行い、1867年英領北アメリカ法により、自治領カナダ(Dominion Canada)となりロウアーカナダはケベック州として新たな出発をすることとなったのです。

Assembly hall.jpgケベック州としての出発当時は、経済構造的にもかなり貧しい州で、経済の重要部門は少数のイギリス系の人々に占められ、州政府予算もカナダ連邦政府に大きく依存していました。しかし連邦政府はオンタリオ州地方の産業改革と西部開拓に専念しており、ケベック州は取り残された形となっていました。加えて州政府自体に近代国家の新しい責任を果たす力がまだ備わっていなかったこともあり、政府のかわりに教育や社会福祉の面で中心となったのが教会でした。しかし、教会は近代的統治機構や工業化、都市化に敵意をあらわし、自らの特権を守ることに専念し、その結果ますますケベックの近代化が遅れることになってしまいました。

その後1920年代以降の第二次産業革命において、電力と非鉄金属を中心にケベックの 重工業が発展しましたが、この急激な工業化もイギリス系の人々とアメリカ資本を中心に行われたもので、フランス系の人々は相変わらず教会を中心とする社会のなかに依然として取り残されたままでした。

1936年にケベック州政権の座についたモーリス・デュプレシの率いるユニオン・ナショナル党はその後約20年間、超保守的な政治を行い、近代化はなかなか進みませんでしたが、デュプレシの死の翌年、1960年に行われた州選挙において、ユニオン・ナショナル党は破れ、代わってジャン・ルサージュ率いる自由党が政権の座につきました。

このジャン・ルサージュ率いる自由党を中心に行われた「静かな革命」と呼ばれる一連の社会大改革が、ケベックの近代化を一気に推し進め、現代のケベックの基礎を築いていきました。
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